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なぜ政治家になったか

なぜ政治家になったか

 2014年私は、脳梗塞の発作に襲われました。趣味の書道の作品作りの最中に、突然左半身nに力が入らなくなり展覧会用の大きな紙の上に倒れました。しばらくすると、一旦は、元に戻りました。その間に、自分で救急車を呼んで、階段を降りて、救急車に乗りました。総合病院についた時、再び身体の自由が奪われ、そのまま、半年の及ぶ入院生活が始まりました。
 ところが、テレビで報道された脳血栓を溶かす新式の点滴治療(t−PA)は一向に始まりませんでした。その治療法ができる専門医がいなかったのです。残された右手で筆談してわかりました。退院してからカルテ開示を受けて、専門書と照らし合わせましたが、急性期に脳血栓を溶かす有効な治療は、一切行われていませんでした。
 t−PAという薬は脳梗塞を起こして4時間半以内に治療を始めないと、脳出血のリスクが高まるため、使えなくなります。そのためt−pA治療のできる専門医が24時間体制で、待機している必要性があります。米国では脳卒中センターという専門の救急センターがあります。私と同じような悔しい思いをする人は出ないようために、青梅市でも脳卒中センターを作ってもらう、それが私の使命のように感じ、脳卒中学会のマニュアルを読んだり、東京都の委員会の会議録を読んだりしました。時には、中央線沿線の大学病院の講演会に出かけました。
 市長になんとかしてもらうしかない、と考えて、公募で、行政改革推進委員になりました。当時の竹内市長に直接訴える事もできましたが、事態は進みませんでした。
 生活クラブの地域委員になって、生活者ネットのと議会事務局とつながりができ、そちらから、担当部署に連絡を入れてもらうと、青梅総合病院に東京都が検査に入りました。そこで、t−PAの治療体制がないことが指摘され、総合病院に「脳卒中センター」ができました。
 ところが、そのセンターは予防治療に重きを置くもので、24時間体制の救急センターではありませんでした。
 一市民として活動することに無力感を感じていた私は、2019年4月の青梅市議会選挙に立憲民主党の公認を受けて立候補し、当選することができました。その年の9月市議会で、脳卒中センターを24時間体制の救急センターとすることを要望して、実現する運びになりました。